■女子代表隆盛の源
なかでも少年少女を喜ばせたのは、「サッカーでは、誰でもクォーターバック」というキャッチフレーズだった。アメリカンフットボールでは、前線を走る「レシーバー」たちに数十メートルのパスを投げ、チームを勝利に導く「クォーターバック」はスター中のスターだった。その役を、サッカーなら試合中に誰でも担うことができるのだ。
体と体をぶつけ合うアメリカンフットボールは、子どもには危険な競技。安全な競技、サッカーに取り組むことに、親たちも喜んだ。そして何よりも、アメリカンフットボールの選手になる道などなかった少女たちにとって、サッカーは夢のような競技だった。
アメリカでは1972年に「タイトル9」という法律が成立し、スポーツ機会の男女平等が義務付けられた。男子サッカーチームを持つ学校なら、女子サッカーチームも持たなければならない。男子は、少年時代にサッカーをやっていても、その後さまざまな競技に進んでいくが、女子はサッカーを続ける選手が多かった。その結果、1980年代にはハイスクールでは女子サッカー選手は学校の花形アスリートとなり、各大学に女子サッカー部がつくられ、盛んに活動が行われるようになった。
アメリカが1991年の第1回大会から女子ワールドカップを席巻し、現在にいたるまで「サッカー女王」の座を保ち続けているのは、この「タイトル9」のおかげであり、同時にサッカーの楽しさを少女たちに伝えたNASLの遺産だった。ただ、男子では、「NASLの遺産」が代表チームの強さに結びつくにはもう少し時間が必要だった。











