■降格レベルの世界ツアー惨敗

 4月あるいは5月から9月あるいは7月までというシーズンは、「シーズンオフ」にある時期の欧州や南米の選手を集めてチームをつくり、リーグを開催した結果だった。

 しかし両リーグとも入場者が1万人を超す試合はごくまれで、中には3ケタの試合もあるという状況で、出資者たちの期待を裏切った。そしてその年のクリスマスに両リーグは合併を決定、誕生したのが、「ノースアメリカン・サッカー・リーグ(NASL)」だった。

 1967年にUSAで戦った「ダラス・トルネード」はスコットランドのダンディー・ユナイテッドをそっくり移したものだったが、チームはその秋から翌シーズンに向けて英国やスカンジナビア半島の選手のリクルートを開始、集めた選手で「ワールドツアー」を敢行した。

 そのうちの2戦が日本で行われ、その当時のアメリカ・サッカーの状況を垣間見ることができる。

 初戦は1967年12月24日に東京・国立競技場で日本サッカーリーグの三菱重工との間で行われたが、三菱がFW杉山隆一とMF八重樫茂生(古河電工所属、招待選手)のゴールにより2-1の勝利をつかんだ。そして2日後、大阪の長居競技場での第2戦の相手は東洋工業、八幡製鉄、ヤンマーディーゼルの3チームから選抜された「西日本オールスターズ」。これも日本チームが3-2で勝った。

 試合結果はともかく、ダラス・トルネードは技術的に劣るだけでなく、ファウルやラフプレーが多く、日本のファンを激怒させた。NASLの結成が正式決定したのはちょうどこの2試合のころだったが、ダラス・トルネードの試合は生まれ変わろうとしている時期のアメリカ・サッカーのイメージを著しく低下させるものだった。遠征の通算成績は、40戦して7勝9分け24敗。「降格」レベルのものだった。

(3)へ続く
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