■投資家たちの野望
一挙に過熱した、「新しい」エンターテインメントとしてのサッカーに投資しようという人があちこちから現れる。しかし当時のアメリカ・サッカー協会(USSFA)には、その「サッカー熱」を形あるものにまとめる力はなかった。1年半ほどの混乱の後、1967年3月には、アメリカで初めての「全国規模のプロリーグ」が2つ誕生した。
「ユナイテッド・サッカー・アソシエーション(USA)」と「ナショナル・プロフェッショナル・サッカー・リーグ(NPSL)」である。USAはカナダの2チームを含む12チームで5月に開幕、7月に決勝戦を行って「ロサンゼルス・ウルブス」が優勝を飾った。そしてNPSLはやはりカナダの1チームを含む10チームで4月に開幕、9月に決勝戦を行って2戦合計4-2でオークランド・クリッパーズがチャンピオンとなった。
レベルの高いゲームを見せなければならないと、全チームがイングランドや南米などの選手を中心に組み立てられ、アメリカ人選手はごくわずかだった。
USAのチームは、チームごと欧州から引き抜いてきた。イングランドのウォルバーハンプトン・ワンダラーズは「ロサンゼルス・ウルブス」となり、サンダーランドは「バンクーバー・ロイヤルズ」として、そしてストーク・シティは「クリーブランド・ストーカーズ」としてUSAの試合を戦った。同じように、スコットランドから3クラブ、北アイルランドとアイルランドから1クラブずつが参加した。
「英国系」だけではない。ブラジルのバングーは「ヒューストン・スターズ」となり、イタリアのカリャーリは「シカゴ・マスタングス」となった。そのほか、オランダ、ウルグアイのクラブも参加した。USAの「レギュラーシーズン」はわずか12節だった。
一方のNPSLは、クラブ単位での移入ではなく、選手の「一本釣り」だった。USAがアメリカ・サッカー協会公認だったのに対し、NPSLはその枠外の興行組織だったため、選手たちはこのリーグでプレーすると自国に戻ったときに出場停止処分を受けるリスクを負っていた。それでもイングランドやスペインなどから高名選手が参加した。「ニューヨーク・ジェネラルズ」が契約した長身のアルゼンチン人FWの名は、セサル・メノッティ。後にアルゼンチン代表を1978年ワールドカップ優勝に導く名監督となる。











