■暗黒の40年間

 アメリカはワールドカップの北中米カリブ海予選で負け続け、1950年ブラジル大会に次いでワールドカップの舞台に立ったのは、実に40年後の1990年大会だった。この間、オリンピックには5大会に出場を果たしているが、いずれも1回戦、あるいはグループステージを突破できずに敗退を喫している。

 まさに「暗黒の40年間」。アメリカが「サッカー不毛の地」とまで呼ばれたのは、このころである。アメリカ人は、バスケットボールやアメリカンフットボール、ベースボール、アイスホッケーといった「4大競技」を好み、これらの競技はプロとして大きな成功を収め、アメリカのスポーツ文化を牽引してきた。

 しかしサッカーはなかなか点が入らず、しかもゴールが決まったと思ったら「オフサイド」で取り消されるというフラストレーションのたまる競技で、アメリカ人たちは大きな興味を示さなかった。

 国内では、1921年にスタートした「アメリカン・サッカーリーグ(ASL)」が、一時的な休止を経て1944年から再スタートを切り、「マイナー競技」として続けられていた。しかしこれは東部が中心で「全国リーグ」にはほど遠いうえに、ファン層は欧州や中南米からの移民が中心で、クラブもそうした民族性を露わにしたものが多く、メジャーなスポーツにはなりえなかった。

「世界であれほど盛んなサッカーがアメリカで人気を得ないわけがない」と、一獲千金を狙うオーナーが次々とクラブ経営に乗り出したが、入場者が1万人を超えることは滅多になく、セミプロのレベルを超えなかった。ASLは1983年まで続くが、最後までマイナー競技の域を出ることはなかった。

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