■名将チャップマンの「粘り強い交渉」の末に…

 クラブは地下鉄駅に徒歩数分という近いスタジアムを保有できたことで大きな利益を得たが、1925年に監督に就任し、「WMシステム」を開発して黄金時代を築いただけでなく、クラブがより大きな人気を得ることにも心を砕いた名将ハーバート・チャップマンは、地下鉄駅の改称を計画した。そしてロンドン交通局との粘り強い交渉の末、1932年11月に「ギレスピー・ロード駅」を「アーセナル駅」と改称させることに成功したのである。

 費用をかけずに大きな宣伝効果が生まれたことで、翌1933/34シーズン、アーセナルは1試合平均4万1000人という記録的な入場者数を記録し、大きな利益を計上した。アーセナルは2006年に南西に約400メートル離れた土地にエミレーツ・スタジアムを新設して移転したが、今でも「アーセナル駅」が最寄りである。

(3)へ続く
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