後藤健生の「蹴球放浪記」第283回「2015年東アジアカップで学んだ中国の底力」(2) 男女ともに散々だった日本代表、その悔しさを吹き飛ばす大陸のスケール感の画像
2015年東アジアカップのADカード。提供/後藤健生

現在、アジアのサッカー界は日本がリードしていると言ってもいいだろう。だが、かつては韓国の前に歯が立たない時代があった。さらに時代をさかのぼれば、中国の悠久の歴史に思いを馳せざるを得ない。蹴球放浪家・後藤健生は東アジアカップで中国文明のすごさを思い知った!

■「中華民国」建国につながる反乱の地

 武漢では近世史、近代史に関係する名所もたくさんありました。

 たとえば、「武昌起義軍政府旧址」。

 中国は16世紀以来、現在の中国東北部の満州族が立てた「清」王朝が支配していましたが、19世紀後半には清朝は弱体化して西欧列強の侵略を受け、1895年には日清戦争に敗れてしまいます。そして、20世紀に入ると反清運動あるいは民主化運動が盛んになっていました。そんな一触即発の状態の中で、1911年10月10日に武昌で軍人が反乱を起こし、軍政府を樹立したのです。

 これをきっかけに反乱は全国に及び、清朝が倒れて中華民国が建国されることになりました(辛亥革命)。

 武昌での反乱自体は計画的というより偶発的な事件でしたが、その後、中華民国では10月10日が革命記念日(双十節)として祝われることになりました。

 その軍政府が樹立された建物が旧跡として保存されており、当時使われていた「鉄血十八星旗」も見ることができます。

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