■収入の面でも「必然だった」2レグ制
1955年に始められた「欧州チャンピオンズカップ」では、中立地での決勝戦以外は「2レグ制」とされた。現在の「チャンピオンズリーグ」と違い、当時は全ラウンドがノックアウト方式だったからである。航空機を用いたとはいえ、長距離の旅行を必要とするアウェイチーム、しかも慣れない外国のスタジアムでの試合は、大きな不利となる。試合からの収入の面でも、「2レグ制」は必然だった。
そして、このシーズンの14カードすべてが、2戦で決着がついた。以後「2レグ制」は世界に広まった。
「チャンピオンズカップ」で2戦では決着がつかず、初めてリプレーが行われたのは、2シーズン目の1956/57シーズン。1回戦の「レンジャーズ(スコットランド)×ニース(フランス)」、そして「レアル・マドリード(スペイン)×ラピッド・ウィーン(オーストリア)」の2カードだった。抽選によりリプレーはパリとマドリードで開催され、ニースとレアル・マドリードが勝って2回戦に進んだ。








