■「ライバル」とは呼べなかった時代

 1985年のメキシコ・ワールドカップ・アジア予選で日本は最終予選に進出し、韓国とホーム&アウェーで対戦したが、結果は2連敗に終わり、内容的にも完敗だった。

 日本代表の森孝慈監督(故人)は、韓国の金正男(キム・ジョンナム)監督と学生時代から親交があったので、同監督を通じて両国の選手たちが置かれたプレー環境の違いを知り、日本サッカーのプロ化の必要性を痛感したという。

 当時、実業団中心の日本サッカーリーグ(JSL)の人気も低迷しており、1988年にはプロ化を模索するための「活性化委員会」が発足、その後、欧米のプロ・スポーツの調査など長い準備期間を経て、1993年5月にJリーグがスタートした。

 バタバタと急ピッチでプロ化を進めた韓国のプロ・リーグに対して、Jリーグは長い準備期間を経てのスタートだった。

 いずれにしても、プロ化を巡って1980年代には韓国が先行していたし、また、代表チーム同士の対戦でも韓国は日本を圧倒していた。日本にとって、韓国は「ライバル」と呼ぶこともおこがましい「大先輩」だったのだ。

 そのため、僕は何度も韓国のプロ・リーグの取材、観戦にいったのだ。

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