■日本に大きな影響を与えた「プロ化」
サッカー界は最初、「時期尚早」と判断してプロ化に消極的だったが、1982年に一足先にスタートしたプロ野球の人気を見て翌1983年に急きょプロ化を成し遂げたのだ。
大韓蹴球協会会長だった崔淳永(チェ・ジュニョン)はもともとプロ化推進論者で、1980年には自ら初のプロ・クラブ「ハレルヤ」を結成していた。キリスト教の布教を目的としたチームで、試合前に選手が十字の形に並んで、ひざまずいて祈りを捧げるというパフォーマンスをおこなっていた(ハレルヤは1985年にアマチュアに戻り、その後1998年に解散)。
もう一つのプロ・クラブ「油公」は、「鮮京(ソンギョン)」財閥が国営大韓石油公社の払い下げを受けたのをきっかけにプロ化したもの。済州(チェジュ)ユナイテッドの前身である。
開幕当時、スーパーリーグにはホームタウン制もなかったし、応援スタイルも実業団当時のままの応援団方式だった。つまり、まだ不完全な形でのプロ・リーグではあったのだが、それでも韓国サッカーのプロ化は日本に大きな影響を与えた。