■取り入れられた「Jリーグ」の良さ

 韓国のプロ・リーグは応援方式は実業団型だったし、クラブの経営は完全に親会社に依存していた。また、スタジアムも古い陸上競技場ばかりだったし、練習場も整っていなかった。

 つまり、環境はけっして良くなかったのだが、ピッチ上のプレーはプロ化以前のJSLとは比べ物にならないほど激しく、力強いものだった。なにしろ、当時の韓国のサッカー人は「蹴球(チュック)は韓国の自尊心」「一番大事なのは根性」といった精神論を口にしていた時代だった。

 一方、日本のサッカーは代表強化は遅々として進まなかったが、1980年代に入ると金田喜稔や木村和司に代表されるような個人技に秀でた選手が増え始めていた。力強さやスピード、あるいは戦術(駆け引き)面では韓国に遠く及ばなかったものの、日本のサッカーは韓国よりテクニカルだった。

 1993年にJリーグが大成功を収めると韓国プロ・リーグはホームタウン制を全面的に取り入れたり、応援方式もサポーター中心にするなど、Jリーグの良さを積極的に取り入れた。そして、それまでリーグ戦の名称も「蹴球大祭典」とか「コリアン・リーグ」などコロコロと変わっていたが、1998年には「Kリーグ」という名称を正式に採用した。

(2)へ続く
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