■「分からなかった」ルネッサンスの兆し
パルクデプランスにボルシア・メンヘングラッドバッハを迎えた試合、フランスは目の覚めるような攻撃を見せ、5-0で完勝した。ボルシアには「世界チャンピオン」の西ドイツ代表選手ベルティ・フォクツやライナー・ボンホフがいたが、フランスのスピードにまったくついていけなかった。
あとから思えば、これが「フランス・サッカー・ルネッサンス(再生)」の兆しだったのである。プラティニを中心にした若い世代のフランス代表は、1978年アルゼンチン大会で12年ぶりにワールドカップに出場して高い評価を受け、4年後の1982年スペイン大会では「伝説」の1958年大会に並ぶ3位に躍進、1984年の欧州選手権では5試合で9得点というプラティニの活躍で初優勝を飾るのである。
倉井カメラマンの機転でその重要な試合を見ることができたわけだが、その日の私はただ「若くて面白いチームを見た」という程度の思いを抱いただけだった。これがとんだ「拾いもの」であったことを自覚するのは、翌年、アルゼンチンとブラジルに遠征し、2戦2分け(アルゼンチンに0-0、ブラジルに2-2)の成績を残したフランス代表のプレーを見たときだった。









