■「21歳」のミッシェル・プラティニ

 パリに着くと、倉井カメラマンは迷うことなく地下鉄に乗った。連れていかれたのは、有名スポーツ紙『レキップ』の一角にあった「パリ・スポーツプレス協会」だった。倉井カメラマンは窓口の女性とごちゃごちゃ話していたが、やがて自分の分を含め、3人分の取材パスを持ってきた。私たちは予約してあった小さなホテルに荷物を放り込むと、すぐにパルクデプランスに向かった。

 当日に申請して取材パスが出るのである。どうせスタジアムもガラガラに違いない―。その予想は見事に裏切られた。パルクデプランスはぎっしりと満員になり、大いに盛り上がっていたのである。

 フランス代表は若かった。21歳のミッシェル・プラティニと同年代の選手がズラリと並び、ただひとり、28歳のジャンミシェル・ラルケがキャプテンマークを巻いて大ベテランの風格を見せ、中盤に君臨していた。16人のうち8人は、力をつけつつあったASサンテチエンヌ所属の選手たちだった。なかでもプラティニと同じ21歳のFWドミニク・ロシュトーのスピードに乗ったプレーは目を引いた。

 フランスはこの前に行われたモントリオール・オリンピックに出場し、3得点を挙げたプラティニの活躍で準々決勝に進出していた。オリンピックのサッカーがまだ「アマチュア」だけの時代である。「ナショナル・チーム」を送り込んだ東欧勢の前には歯が立たなかったが、若い代表の活躍は久々にフランス国民の関心をサッカーに向けさせていた。そのシンボルがプラティニだった。

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