■日本に輸出する「最高級ワイン」
美しい村だった。民宿の前から小さな渡し船でモーゼル川を対岸に渡ると、小高い丘が連なっており、その丘すべてがその民宿が持つぶどう畑だった。民宿の本業はワイン製造農家だった。民宿の小さな女の子たちを連れての(というより、彼女たちはぶどう畑の急な坂道を駆け上がっていったから引っぱられるように)散歩から戻ると、居間には、ラベルなどなくコルクの栓をしただけの白ワインが表面に水滴をつけて待っていた。喉の渇きを覚えてゴクゴクと飲んだが、すばらしくおいしかった。
聞くと、ドイツのこうしたワイン農家では、最もよくできたものは自家用にするために地下にしまい、次のランクのものをドイツ国内向けに高級ワインとして出荷、さらにその次のものを日本向けに「最高級ワイン」として輸出するのだという。なるほど。私はその1杯で完全に酔ってしまい、夕食もそこそこにベッドに倒れ込んだ。
その村に2泊し、8月24日の朝に倉井カメラマン、友人と3人でパリに向かった。「サッカー教室」は最後にパリ観光をして、8月27日にパリから帰国の途につくことになっていた。列車はパリ行きの鈍行である。早朝に出たが、ルクセンブルクを経由し、パリに着いたのは、午後もそう早い時間ではなかったはずだ。









