■監督インタビューは「直談判」

 ユナイテッドは1974年に2部落ちの苦杯をなめたものの、トミー・ドカティ監督の指揮下、1年で1部に復帰、その1年目、1975/76シーズンは3位の好成績を残した。若く魅力的なチームだったが、何よりも、私たちの脳裏には、1958年の「ミュンヘンの悲劇」と、そこから立ち上がって1968年に欧州チャンピオンズカップで初優勝するまでの物語が刷り込まれていた。

 東京12チャンネルの「三菱ダイヤモンド・サッカー」を通じて、日本でイングランドのサッカーが見られるようになった1960年代末から1970年代にかけて、圧倒的な人気を持ったのが、ジョージ・ベストやボビー・チャールトンを擁するユナイテッドだった。だから、初めてイングランドに行くなら、誰が何と言おうともユナイテッドだった。34ページぶち抜きは、まだ足りないほどだった。

 もちろん、マンチェスター・ユナイテッドには、事務局長あてに取材に行くので許可してほしい旨の手紙は出してあった。返事など来ない。本文13ページのうち4ページはドカティ監督へのインタビュー記事であり、これは現地で交渉して私が原稿を書かなければならないものだった。だが25歳になったばかりの私は「なんとかなるさ」と、超楽天的だった。

(2)へ続く
  1. 1
  2. 2
  3. 3