■日本代表の「ロビング」で廃案に

「18ヤードオフサイド」という案もあった。18ヤード、すなわちペナルティーエリアのラインまではオフサイドをなくそうというのである。だが、これも試合のスピード感を落とすということで採用されなかった。

 スローインに代わる「キックイン」もテストされた。「サッカーは足でやるもの」というのがブラッターの説明だったが、1993年に日本で開催された「FIFA U-17世界選手権(現在のU-17ワールドカップ)」で日本が相手陣でのすべての「キックイン」で特定のキッカーがわざわざ蹴りにいき、ゴール前へのロビングとしたことで、あっさりと廃案となった。

 そうした中、1992年のルール改正で採用が決まったのが、「バックパスルール」だった。味方プレーヤーが足でプレーしたボールに対し、GKは自陣ペナルティーエリア内であっても手を使うことはできない―。今日では誰も疑わない当たり前のルールだが、当時は衝撃的だった。

 日本リーグ時代の読売サッカークラブ(現在の東京ヴェルディ)のMFラモス瑠偉の「得意技」が、リードしたときに最後尾でボールを持ち、ゆったりとドリブルして、相手が取りにくると足にボールを乗せ、浮かせてGKに渡し、手で取らせるというものだった。もちろん、相手が離れると、もう一度もらって、ゆっくりキープする―。「バックパスルール」は、こうした「時間の浪費」をなくすためのものだった。

 効果はてきめんだった。1982/1983から10シーズンのイタリア・セリエAでは、1試合の平均得点が2.17(ちょうど今季のJリーグと同じ数字である)だったが、新ルールが採用された1992/93シーズンでは2.80まで上がったのだ。

PHOTO GALLERY 【画像】「バックパス」採用と「勝点3」への変更を伝えるFIFA公式刊行物
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