■南米のパリで舞い続けた「紙吹雪」
セサール・ルイス・メノッティ監督率いるアルゼンチン代表は、ロサリオでの2次リーグを1位で突破し、リーベルの本拠地エスタディオ・モヌメンタルに戻って決勝を戦い、延長戦の末にオランダを3対1で破ってワールドカップ初優勝を決めました。
もちろん、夜通しのお祝いが始まりました。当時、アルゼンチンを支配していた軍事政権は、1週間を休日にしました。選手の国外移籍を禁止するなど、代表チーム強化のために協力。そして、国民の人気取りのためにワールドカップ優勝を最大限に利用したのです。
翌日、僕もブエノスアイレスの都心に出かけてみました。
アルゼンチン・ワールドカップというと、試合前にスタンドからまかれる大量の紙吹雪が有名です(ピッチは紙吹雪で真っ白になっています)。決勝翌日のブエノスアイレス市内でも大量の紙吹雪が舞い続けました。
ブエノスアイレス市は、アルゼンチンが経済的に裕福だった1920年代から30年代に建設された高層ビルが整然と建ち並んでいて「南米のパリ」とも呼ばれています。そのビルの上から、人々が紙吹雪をまき続けているのです。オフィスの書類などの紙類を窓からまくのです。
中には、書類の束をヒモで束ねたまま放り出す人がいて、大きな紙の束がドサッと落ちてくることもありますが、頭にでも当たったら一大事です。