■知られざる城福監督の「選手時代」
城福浩監督は、1961年3月21日、徳島県徳島市生まれの63歳。現在、仙台育英高校でサッカー部監督を務める兄の影響でサッカーを始め、兄の後を追うように徳島県立城北高校、早稲田大学を卒業、1983年に富士通に入社した。神奈川県の川崎市にあった富士通のサッカー部(現在の川崎フロンターレ)は、1970年代に2シーズン、日本サッカーリーグ(JSL)1部でプレーしたが、1979年以降はJSL2部となり、1部昇格を目指していた。
MFとして第3節の東邦チタニウム戦(4月17日、西が丘サッカー場)で交代選手としてデビューし、次節からはレギュラーとなってチームの中核を担った。初得点は第11節、10月22日に北九州の鞘ヶ谷競技場で行われた新日鉄戦だった。
この年は10チーム中7位。以後も富士通はJSL2部の下位にとどまったが、城福がキャプテンとなって臨んだ1988/89シーズンに大きなチャンスを迎える。富士通は8チームによる「上位リーグ」に進出。上位2チームがJSL1部自動昇格という規定のなか、首位の東芝(現在のコンサドーレ札幌)が早々と優勝を決定。2位争いには3チームがからみ、最終の第14節での「2位3位直接対決」、ともに勝点16で並ぶ日立(現在の柏レイソル)と富士通の試合に、もうひとつの「昇格枠」がかけられることになった。勝ったほうが2位で昇格決定となる。だが、引き分けになると、4位の田辺製薬がNTT関東(現在の大宮アルディージャ)に勝てば、逆転で2位という状況だった。