蹴球放浪家にして、ベテランのサッカージャーナリストである後藤健生には、半世紀以上にわたって背中を追い続けてきた、「日本最高のジャーナリスト」がいる。2024年J1最終節の「取材」は、その大先輩に導かれたかのようだった――。
■特攻隊員として「出撃直前」に終戦
去る12月5日にサッカージャーナリストの大先輩、賀川浩さんが亡くなりました。1924年12月29日生まれといいますから、もうすぐ100歳の誕生日を迎えるところでした。10月には入院していた賀川さんをお見舞いする機会がありましたが、その後、回復して退院されたと聞いていたので、次は100歳の誕生パーティでお目にかかれるのを楽しみにしていたのですが……。
賀川さんは日本サッカー殿堂入りしたのはもちろん、FIFA会長特別賞を受賞するなど、まさに日本最高のサッカージャーナリストでした。
僕は1964年の東京オリンピックのときに初めてサッカーというスポーツと出会って、中学に入ってサッカー部に入部したのですが、その頃、僕より28歳年長の賀川さんは、現役バリバリのジャーナリストでした。
第二次世界大戦末期に特攻隊員として朝鮮半島北部にいた賀川さんは、出撃直前に終戦となったために無事に帰国され、『産経新聞』や『サンケイスポーツ』で健筆をふるっておられました。
サッカーを始めたばかりだった僕は、賀川さんの記事を貪り読んで知識を吸収しました。