■客船に乗って「ナホトカ港」へ
さて、壁崩壊から25年。もう、若い人は壁のことを記憶していないのかもしれませんが、壁自体は今でも残されていて観光地化されています。
その壁が健在だった頃、僕はそれを現地で見ました……というより、そこを通過しようとしました。
1974年に西ドイツ・ワールドカップ観戦に行く途中のことです。
当時、ヨーロッパまで行くための最も安上がりな方法は「ソ連経由」でした。
横浜からソ連の客船に乗って日本海に面したソ連のナホトカ港に入り、そこからハバロフスクまで列車で移動。ハバロフスクからは飛行機でモスクワに。そして、モスクワから希望の都市まで列車で行くというパッケージ旅行があったのです。
僕は、モスクワ観光の後はワルシャワ、東ベルリン経由で西ベルリンに出るコースを選択しました。
モスクワから列車に乗って白ロシア(現在のベラルーシ)の首都ミンスク経由でワルシャワに出て、ワルシャワを観光してから再び列車で東ベルリンのアレクザンダープラッツ駅に到着しました。駅の目の前に立っている東ドイツご自慢のテレビ塔などを見てから、僕はいよいよ「壁」を越えることにしました。