■「驚かされた」墓地の入口にいた若者

 市民共同墓地は、南北400メートル、東西200メートルの長方形をやや時計回りに回転させたような敷地をもっている。そのいちばん南の角に、周囲とは区切られた日本人墓地があった。非常にきれいだった。幅10メートル、奥行き20メートルほどの土地は立派に区画され、真新しい鎮魂の碑も建てられている。ここに埋葬されている79人の方々の名前が彫られ、それぞれの墓石にはネームプレートが付けられている。
 そこにひとりの作業員のような人がやってきた。ミロキル・フォジルさん。この日本人墓地の手入れ一切をやってくれているという。そして驚いたことに、彼の父ジャルキル・フォジルさんは、50年前、次々と亡くなった日本人をこの地に埋葬した人だという。
 「日本人がすべて帰国した後、ここは荒れ放題になっていた。囲いをして、日本人墓地とわかるようにしたのは、私の父だった。まだ子どもだった私も手伝ったんだよ」
 ミロキルさんはそう話してくれた。ジャルキルさんは、冷戦のさなか、日本人が訪れることもできずにほったらかしにされていた墓地をしっかりと手入れし、守り続けたという。市役所から他の仕事をするようにと命じられたこともあったが、それを拒否し、私たちが訪れる数年前に亡くなるまで、墓地の世話をしていたというのである。
1990年に日本から慰霊団がきて鎮魂碑を建て、墓地を現在のように立派に整備した。それまでここを守り抜いたのが、ジャリロフさんとミロキルさんの「フォジル親子」だったのだ。
 さらに驚かされたのは、市民共同墓地の入口から私たちを案内してくれた若者はミロキルさんの長男でルスタンくんと言い、13歳ながら父の手伝いをしているということだった。
 「あと何年かしたら、息子が私の仕事を継いでくれるはずだよ」

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