■レギュラーも決めずに「40人」を試しながら

 チームには稲本潤一今野泰幸大前元紀といった代表クラスをはじめ、何人もの元Jリーガーが在籍するが、同時に無名の選手も多く、初めて関東1部で戦った昨年はリーグ戦で6位に終わり、JFL昇格に続く地域チャンピオンズリーグ出場はならなかった。

 将来のJリーグ入りという大きな夢を描く一方で、関東1部の中堅だったチームを名将の誉れ高い風間監督がどのように強化するかに注目が集まった。

 風間監督は、さっそく、ボールを動かす独特のトレーニングにとりかかったという。登録選手数が40人を越える中、最初はレギュラーも決めずに、40人を試しながらのスタートだった。

 川崎の監督に就任する前、風間氏は筑波大学監督を務めていた。

 現在の筑波大学は高校年代のトップクラスの選手が集まる強豪校だが、風間が監督を務めていた時代はそれほどの有力選手が集まる大学ではなかった。春のシーズン開幕当初は目を引くようなチームではないのだが、風間監督のトレーニングのおかげで選手たちがどんどんうまくなって、大学リーグが閉幕し、全日本大学選手権(インカレ)が始まる頃には優勝候補と見なされるようになる……。

 そんなことが、何年も続いていた。

 そして、満を持して風間氏は川崎の監督に就任。谷口彰悟車屋紳太郎など、筑波大学出身の選手も数多く川崎に入団した。

 さすがに、プロリーグでは大学リーグでのように1年でチームを強豪に育て上げることはできず、なかなか勝てない時期もあったが(そもそも、勝つことが目的ではないのだから)、風間監督の下でパスをつなぐスタイルのサッカーを確立し、風間が退任して鬼木達が監督に就任してから、川崎はJ1リーグの絶対王者として君臨することになった。

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