■中田英寿クラスにしか「許されなかった」

 1993年にJリーグが発足した頃は、ブラジル代表選手が何人もJリーグでプレーしており、逆に日本人選手がヨーロッパに挑戦するのは非常に稀(まれ)なこと。三浦知良(カズ)や中田英寿クラスの選手にしか許されないことだった。

 つまり、当時の日本はサッカー選手の“純輸入国”と言ってよかった。

 今では、失礼な言い方をすれば、「なんでこんな選手まで」と思うような海外移籍がなくはない。Jリーグクラブでプレーすることなく、大学や高校から直接ヨーロッパに渡る選手はもはや珍しくない。

 先日、オランダのNECナイメヘンに移籍が決まった塩貝健人は慶應義塾大学ソッカー部からオランダ行きが決まった。塩貝は強化指定選手として横浜FMでもプレーしていたが、慶應大学といえば、関東大学リーグの2部のチームだ。

 いずれにしても、こうして毎年、数多くの中堅、若手選手がヨーロッパのクラブと契約して旅立っていく。

 今の日本は、選手の“輸出国”となったのだ。数千人の選手が世界各国で活躍しているというブラジルと比べることはできないが、ほとんどの代表選手がイングランドのプレミアリーグで活躍しているベルギーと似たような状況とも言える(ベルギー代表も、日本代表と同じく、国内リーグ所属の選手はごく僅かだ)。

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