■野望に燃える18歳の「初めて」の世界大会

 マラドーナが誰で、どんな存在であったか、いまさら説明の必要はない。ひとつだけ言っておきたいのは、1979年8月の時点で、彼はすでに世界中が注目する「次代のスーパースター候補」であったことだ。マラドーナは前年のワールドカップで17歳にして最終候補まで残り、この1979年の5月から6月にかけてはハンガリー、スコットランド、アイルランドと回ったアルゼンチン代表の欧州遠征で見事なプレーを見せ、最高の評価を得ていた。もちろん、日本のサッカーファンの間でもマラドーナの名は語られるようになっていた。

 しかし、「すごい選手が現れた」という雑誌の情報と、実際にスタジアムで見たり、あるいは生中継でプレーを見ることでは、そのインパクトに大きな隔たりがある。1979年の日本のサッカーファンは本当に幸運だった。18歳のマラドーナが野望に燃えて初めての「世界大会」を戦う姿、夢のようなドリブルテクニックとパスの能力、得点力などを、スタジアムやテレビで目の当たりにすることができたからだ。

 そして日本中のサッカー少年たちは、一夜でマラドーナに夢中になった。いや、少年たちだけでなく、日本代表クラスの選手まで、マラドーナに夢中になり、ドリブルテクニックに磨きをかけた。

 マラドーナより2歳年上で、当時明治大学の2年生だった木村和司(後に日産自動車、横浜マリノス)もそうだった。前園真聖(後に横浜フリューゲルスなど)は、1979年の時点では未就学だったが、小学2年生のとき、1981年に「ボカ・ジュニアーズ」とともに来日したマラドーナを見て「僕はマラドーナになる」と決心した。

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