■アディダス創業者による「大革命」
さて、1954年、サッカーシューズのスタッドに大革命が起こる。「アディダス」の創業者であるアディ・ダスラーが、ねじ込み式のスタッドを開発したのだ。スタッドをクギで打ちつける形でなく、クツ底に「雌ネジ」を埋め込んでおき、そこに「雄ネジ」をつけたスタッドを取りつけるというものである。スタッドを1本につき数本のクギで固定していく作業はかなり時間がかかるが、「スクリューインスタッド」と呼ばれたこの方式だと、あっという間に取り替えることができる。
スイスのベルンで行われた1954年ワールドカップ決勝戦は雨だった。
対戦は西ドイツ対ハンガリー。ハンガリーは天才フェレンツ・プスカシュを擁する当時の世界最強チーム。ウェンブリーでイングランドを6-3で叩きのめす(ウェンブリーにおけるイングランド代表の初の敗戦だった)など、1950年から丸4年間無敗を誇る「マジック・マジャール」である。
両チームはこの大会のグループステージでも対戦し、ハンガリーが8-3という欧州の大国同士の対戦としては信じ難いスコアで勝っていた。西ドイツの名将ゼップ・ヘルベルガーにとって、「雨」こそ無敵のハンガリーを倒す天の恵みだった。
「あれを使おう」
ピッチの状態を見極めると、用具係というわけでもなかったが、チームのシューズの面倒を見てくれていた友人のアディ・ダスラーにヘルベルガーはこう言った。
アディは即座に全選手のシューズのスタッドの付け替え作業を始めた。通常のグラウンドで使っていた高さ10ミリのスタッドを取り外し、当時のルールで許されていた最大の高さである19ミリのスタッドを装着したのである。片方のシューズに6本、1足12本、全22選手のシューズのスタッドを取り替えると264本もの交換だったが、アシスタントを使ってあっという間に完了した。
雨は降り続いた。ピッチは非常にゆるくなっていた。しかし「打ちつけ式」のスタッドでは、長いものに替える時間もなく、ハンガリーはそのグラウンドに足をとられた。その一方で、「スクリューイン」の長いスタッドをつけた西ドイツの選手たちの足は、軟弱なグラウンドをしっかりとつかみ、0-2から大逆転、3-2で初優勝を飾った。「ベルンの奇跡」である。