大住良之の「この世界のコーナーエリアから」第142回【鈴木優磨も格闘「サッカーとパンツの大問題はこう解決せよ」緊急提言】(2) マラドーナと木村和司が愛した「極致」、大迫勇也ハイレグ化の原因は「名門」にの画像
1990年イタリア・ワールドカップ準々決勝、西ドイツ対オランダ。当時はまだ「短いパンツ時代」だった。©Y.Osumi

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような、「超マニアックコラム」。今回は長いか、短いか。

■パンツの長さには「波」がある

 サッカーの歴史をたどると、パンツの長さには「波」のようなものがあったのがわかる。

 19世紀なかばにイングランドでサッカーが始まった頃、選手たちが履いていたのは、「パンツ」あるいは「ショーツ」ではなかった。「ニッカボッカー」だった。ヒザの下までの長さで、裾の部分がすぼめられている形のズボンである。登山用のズボンと言えば、イメージできるだろうか。野球では、現在もこの形のパンツが使われている。

 それが間もなくヒザの上までの「ショーツ」となる。もちろん、動きやすさを求めてのものだった。最初は「親善試合」だけだったサッカーが、1871年に史上初の「大会」であるFAカップが誕生し、1888年にプロ選手を含む「フットボールリーグ」が始まるに至って、急速に激しい競技になっていったのだ。

 1930年にウルグアイで第1回のワールドカップが行われたときも、欧州のチームにあってはパンツの長さはヒザの少し上というのが普通だった。ところが、第一次世界大戦(1914~1918)とその後の時代を経て独自の、そして急速な発展を遂げていた南米のチームでは、この大会ですでに太ももを大きく露出する短いパンツが主流になりつつあった。

 その影響もあってか、欧州でも1934年のワールドカップでは、太ももの半分あたりまで露出する短めのパンツを履く選手が徐々に増えていく。多くの選手は、まだヒザの少し上までの伝統的な長さだったが…。そして、1938年の第3回ワールドカップでは、欧州の多くの選手も太ももの半分ほどを露出するパンツになっていたのである。

 この大会で初めて上位(3位)に進出し、ワールドカップの主役のひとつに躍り出たブラジルの選手たちは、当然、太ももを大きく露出するパンツ姿だった。しかも、そのパンツは太ももの外側の部分が内側に比べてやや短くなっていた。正面からパンツの裾を見ると、緩やかな「V字」型になっていたのである。動きやすさを追求した結果だった。

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