■超二枚目スター着用で「再びのブーム」
短いパンツは、ディエゴ・マラドーナ(アルゼンチン)において、その極致を迎える。1982年から4回のワールドカップに出場し、ほとんど「単独」と言っていい力で優勝1回、準優勝2回に導いた20世紀屈指のスーパースターである。太ももをほぼ全部露出する短いパンツ、しかも体にピッタリと貼りついた小さいパンツを、彼は好んだ。
日本のサッカー少年たちに圧倒的な人気をもっていたマラドーナ。当然、日本の少年たちも短いパンツを愛用した。少年たちだけではない。1980年代の日本のトップスター、ミスターマリノス木村和司選手(日産自動車→横浜マリノス)も、パツパツの短いパンツを履いていた。韓国代表を恐怖に陥れたグイッと曲がるフリーキックは、小さなパンツによる足の自由な動きによって生まれたものだった。
このままいけば、サッカーパンツは水泳競技のパンツのように「極小」への道をたどっていったかもしれない。ところがここで「歴史の揺り戻し」が来るのである。「震源地」は、イタリアの名門にして強豪クラブ、ユベントスだった。1980年代、世界で最も高名だったチームが、突如ヒザ上までの長いパンツの着用を始めたのだ。
当時のユベントスのユニホームメーカーは「カッパ」というイタリアのブランドだった。ユベントスのお膝元であるトリノ市の企業で、イタリア代表のウェアも手掛けていた。このカッパのデザイナーが、「復古調」の長いパンツを生み出したのだ。それをアントニオ・カブリーニのような「超二枚目スター」が着用すると、なぜかおしゃれだった。
最初は奇妙に映ったユベントスの「ロンパン」だったが、人気チームの影響力は恐ろしい。徐々に長いパンツを着用するチームが増えた。そして今世紀に入ると、「パンツはヒザの少し上までの長いもの」となったのである。股下は、15センチから20センチとなる。
そして、その傾向は今も続いている。その結果、鈴木優磨選手や大迫勇也選手がパンツをたくし上げながらシュートを打ち続けるという状況を引き起こしているのだ。