■不良学校=「ロンパン」だった時代
そして第二次世界大戦後、世界中で短いパンツが主体になっていく。ただ、1954年ワールドカップで優勝を飾った西ドイツは、まだヒザの少し上までの長めのパンツを履いており、「小太り」体型だったハンガリーのフェレンツ・プスカシュ(当時の世界最高選手)は、その体型を隠すためか、あるいはパンツのサイズをウエストに合わせてしまったかららか、ひざ上までの大きなパンツを履いていたが、南米に限らず欧州の選手の多くも短いパンツになっていた。
私がサッカーを始めたのは1960年代の後半のことだったが、パンツは股下10センチほどの長さだった。極短に短かったわけではないが、私の長くない太ももでも、その半分ほどが露出する長さである。ところがその時代に、「ロンパン」というものを履く連中がいた。ひざが隠れるほどの長いサッカーパンツである。
私たちはサッカーパンツを「短パン」と呼んでいたが、それに対するものとして「ロングパンツ」すなわち「ロンパン」という呼び方が生まれたのだろうか。
こうしたパンツをはくのは、私のイメージでは「不良学校」のサッカー部だった。当時の高校スポーツではサッカー部といえば不良の集まりというところが少なくなく、その中でも学校を挙げての不良集団(?)だったチームが「ロンパン」を着用し、しかも、それをお尻のところま下げて履くのである。当然、パンツはヒザ下まで落ちている。想像のとおり、頭は「リーゼント」だった。
こうしたユニフォーム姿で、気だるい表情をしながら立つ彼らを見ると、なぜ「ロンパン」が必要になったのか、理屈抜きにわかる気がした。
上の文章が、偏見に満ちたものであることは承知している。しかし、試合前に「ロンパン」「リーゼント」のチームと向き合うと、おぼっちゃん学校だった私たちは威嚇される思いがしたものである。ただ、試合が始まってみると相手は案外だらしなく、私たちのパスワークに翻弄され、前半のなかばで息を切らしてしまうのだが…。