サッカーはピッチ上の技術や戦術のみならず、テクノロジーも日々、進化している。一方で、VARなどの技術の介入、乱用には批判、疑問の声も多い。イングランドで出たVAR廃止論を糸口に、サッカージャーナリスト大住良之がサッカーにおけるテクノロジーのあり方を考える。
■サッカーの母国からの「衝撃的な訴え」
サッカーの母国であり、今や名(スター選手の多さ)実(収益の多さ)ともに「世界最高のリーグ」と言われるプレミアリーグを持つイングランドから、「VAR廃止か」という衝撃的なニュースが流れたのは、5月中旬のことだった。
ビデオ・アシスタント・レフェリー(VAR)に関する議論のやかましさは、イングランドの右に出るものがない。さすが「サッカーの母国」であり、「レフェリー」という存在、名称自体を生んだ国と言わなければならない。
「レフェリーreferee」とは、本来「問い合わせを受ける者」を意味する。少し雑な説明になるが、19世紀の半ばにサッカーが誕生した頃は、反則があると両チームのキャプテンが判定を下し、時には自チームの選手を退場させることもあった。しかし、勝負に対するこだわりが強くなり、しかも勝敗が金銭的報酬の多寡(多い少ない)に反映されるようになると、その意見が合わなくなる。
そんな状態になったとき、両チームは観客席で観戦している観客の中から見識のありそうな「紳士」にお願いし、「どちらが正しいと思いますか」と、意見を求めるようになる。そして「紳士」の考えが最終判定となる。やがて紳士は観客席から降りてピッチに立ち、手にしたステッキをホイッスルに替えて、すべての判定を下す審判員となる。最近はカラフルになったが、審判員の服装が本来、黒なのは、当時の「英国紳士」の定番であった黒いフロックコートのなごりであるという。