後藤健生の「蹴球放浪記」第214回【U-23日本代表の試合ついでに「若戸大橋」見学と「角打ち」挑戦の巻】(2)「東洋一のつり橋」を拝んで「立ち飲み」の本場への画像
戸畑にある酒屋さんは開店前でした(涙)。提供/後藤健生

 蹴球放浪家・後藤健生は、世界をめぐる。その「世界」にはもちろん、日本も含まれている。灯台下暗し、とも言う。日本には、まだまだ学ぶべきことが多く残っているのだ。U-23日本代表の試合前、「ダブルヘッダー」を試みた!

■全長627メートルの「東洋一のつり橋」

 両岸に主塔を建設して、鋼鉄製のワイヤで橋桁を吊るす「吊り橋」という形式の橋でしたが、それまで日本は大きな吊り橋を建設したことがなかったので、難工事となりました。そして、全長627メートルの若戸大橋の完成は「東洋一のつり橋」と呼ばれて、当時は大きな話題となりました(国の重要文化財に指定されています)。

 その後、1973年には関門海峡をまたいで本州と九州を結ぶ関門橋(全長1068メートル)、さらに1998年には本州と淡路島を結ぶ明石海峡大橋(全長3911メートル)といった巨大な吊り橋が建設されたので、若戸大橋は「プロジェクトX」に取り上げられることもなく忘れ去られてしまいましたが、1960年代には少年雑誌などに再三取り上げられ、当時の小学生たちの幼い心に日本の技術力に対する誇りを植え付けたのです。

 日本がいよいよ高度経済成長を迎えようとしていた時期のことでした。

  1. 1
  2. 2
  3. 3
  4. 4