大住良之の「この世界のコーナーエリアから」第137回 【バルセロナを破ったサッカークラブのある独裁者の街へ】(4)厳しい食生活とドルショップ、禁断症状の画像
「独裁者」が去って14年、2003年に再び訪れたブカレストは、カラフルで明るい雰囲気に包まれていた。©Y.Osumi

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような、「超マニアックコラム」。今回のテーマは、独裁者が健在だった頃…。

■肉を買うチャンスは「1か月に一度」

 「物不足」については、私とサワベ・カメラマンの「食生活」を紹介すれば足りるかもしれない。

 「ホテル・ブクレスティ」は、私たちの3食をしっかりと保証してくれていた。だが夕食のためにホテルのダイニングルームに行き、ウェイターが持ってきたメニュー(ルーマニア語と英語の併記だった)を見て「これ」と言うと、「今日はそれはありません」。「ではこれ」と指さすと、「申し訳ありませんが、それもありません」。「では何があるの?」と聞くと、「今日はこれだけです」と1つの料理を示すのだ。

 こうして、私たちは毎晩固い肉を煮込んだようなものを食べた。しかし、こうした「外人用ホテル」に滞在していた私たちは十分以上に幸運だったのだ。一般の人々が肉を買うチャンスなど、1か月に一度あっただろうか。パンさえ、あんな行列をつくらなければ手に入らなかったのである。

 だが、そんななかでも、政府の高級役人やチャウチェスク一家たちは、ぜいたく三昧の暮らしをしていたらしい。「ドルショップ」というものがあったのである。アメリカドルの現金を持って行きさえすれば、肉でもパンでも野菜でも、何でも買うことができたのだ。

 私たちもドルの現金はかなり持っていた。だが、ドルショップに行くのはためらわれた。同じように、私たちのホテル前を四六時中、徘徊しながら私たちの姿を見かけるとすうっと寄ってきて「公定レート」よりはるかに高いレートでドルの現金を買い取ると声をかけてくる連中も無視した。トヨタカップの取材に来て、当局とトラブルを起こすなんてまっぴらだったからだ。

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