大住良之の「この世界のコーナーエリアから」第137回【バルセロナを破ったサッカークラブのある独裁者の街へ】(3)元レスリング世界王者から託された秘密の手紙の画像
盛時には「小さなパリ」と呼ばれた美しいブカレストの街並みも、1986年は深刻な物不足などもあって寂れていた。©Y.Osumi

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような、「超マニアックコラム」。今回のテーマは、独裁者が健在だった頃…。

■通訳兼運転手は「レスリングの世界王者」

 さて、ステアウア・ブカレストの取材である。クラブは、「通訳兼運転手」として、イオン・バチューさんをつけてくれた。小柄だががっしりとした体つき。アメリカ人のような笑顔を見せる好漢だった。

 話してみて驚いた。彼は元グレコローマン・スタイルのレスリングの「世界チャンピオン」だったのだ。バンタム級(当時は57キロ以下)で、1967年に地元ブカレストで行われた世界選手権で優勝、1968年メキシコ・オリンピックでは銀メダル、1972年のミュンヘンオリンピックでは6位に入賞していた。

 いや、驚くには当たらなかったかもしれない。ステアウアは23種目ものスポーツチームをもつ総合スポーツクラブで、1947年の創設以来わずか40年のうちにオリンピックで金メダル17個、銀メダル23個、銅メダル24個という成績を残してきていた。1970年代にテニスの大スターのひとりだったイリ・ナスターゼも、ステアウア所属の選手だったという。

 バチューさんは当時42歳。私より7歳年上だったが、「西側」への留学期間が長かったためか英語が上手で、ユーモアもたっぷりだった。私たちは、すぐに気心を通わせるようになった。

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