■「桜の名所として知られる」目黒川で事件

 2003年の2月はじめ頃のことである。夕刻、私は、近所にある「目黒川」沿いの遊歩道を散歩していた。目黒川は桜の名所で知られ、中目黒駅付近では、見事な桜が川面を覆うように咲き盛るので、満開の時期には1週間で300万人もの人が訪れるという。しかし、私が散歩していたのは、桜の時期には遠く、また、そこより少し下流の地区だった。

 中目黒まではチョロチョロした流れでしかない目黒川も、他の川が合流するなどして、このあたりから急にかなりの水をたたえる、川らしい川となる。だが、そこは大都市内の川。両岸はしっかりと垂直のコンクリートの壁で護岸され、通常、川面は遊歩道から5メートルも低いところにある。

 その遊歩道で、数人の若者がワイワイ騒いでいるのに出くわしたのである。みんな大学生ぐらいの年齢だろうか。そのひとりが、川に面した高さ1メートルほどの鉄柵を乗り越えようとしている。

「危ないな」と見ていると、柵を越えた若者に、仲間のひとりが奇妙なものを手渡した。2メートルほどの棒(おそらく物干しざおだっただろう)の先に、広げた「折りたたみ傘」がくくりつけられたものだった。

「どうしたの?」と私。

「ボールを落としてしまったんです」

「何のボール」

「サッカー」

 とっさに浮かんだのが、オランダのサッカー文化の一翼をなす、あの「水落ちボール救出器具」である。「奇妙なもの」は、まさに同じ目的を持ったものだったのだ。

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