■「断じて許さなかった」川淵三郎チェアマン

 1990年のはじめにJリーグが形作られようとしていたとき、最大の課題はスタジアムだった。いくつかのクラブは、東京をホームタウンとし、当時の国立競技場をホームスタジアムとすることを希望した。しかし、川淵三郎チェアマンは、それを断じて許さなかった。国立競技場は特別なスタジアムとして、どこのホームスタジアムにもしない――。チャンピオンシップ決勝などには使うが、その他の試合は、原則としてホームスタジアムで行うことを決めたのだ。

 もちろん、1993年からしばらくは関東のチームには年に何回か国立競技場でのホームゲームを許したが、「ホームスタジアム最優先」の原則を貫いたことで、ホームタウンの自治体はスタジアム改修、収容人員拡張に努力し、少なくない予算をつぎ込んでJリーグのスタジアムを整備してきた。

 今ここで「国立競技場頼り」のJリーグにすることは、そうしたJリーグとクラブとホームタウンが築いてきた絆の歴史を軽視し、Jリーグの根幹を揺るがしかねない結果につながる。

 コロナ禍も収束した今、クラブが最も力を注がなければならないのは、ホームタウンとのつながりをより緊密なものとし、ホームタウンをより幸せな地域にする核となっていくことではないか。2週間に1度、1年間に19回、ホームタウンが誇るスタジアムに満員のファン・サポーターが集い、互いに歌い、笑い、喜び、あるいは悔しさをかみしめながら選手たちを励ますという、他では得られない体験を提供し続けることではないか。

 昇格決定戦やカップ決勝なら、もちろん、国立競技場は理想の会場と言えるかもしれない。しかし、通常のリーグ戦は、あくまでクラブのホームスタジアムでの開催という原則をもう一度、考えるべきではないか。ホームタウンとそこに住むファン・サポーターを無視したら、Jリーグは成り立たない。

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