後藤健生の「蹴球放浪記」第200回 スキラッチ、マラドーナ、マテウス、ガスコインが躍動!【1990イタリアW杯「観戦ツアー」舞台裏】(1)「ニッポン、チャ、チャ、チャ」誕生の画像
イタリアW杯、ブラジルの初戦、スウェーデン戦の入場券。提供/後藤健生

 現在、多くの人がサッカー日本代表を応援している。だが、かつてはサッカー自体に注目の集まらない時代があった。その時代の生き証人、蹴球放浪家・後藤健生は1990年イタリア・ワールドカップで、「当事者」として奮闘していた。

■「ニッポン、チャ、チャ、チャ」の元祖

「日本サッカー狂会」という団体のことをご存じでしょうか?

 1962年に結成された、日本最古のサポーター団体のことです。

「ニッポン、チャ、チャ、チャ」の応援を考案したのも、この「サッカー“狂”会」でした。

 1966年のイングランド・ワールドカップの記録映画「ゴール」を見て、イングランドのサポーターが「イングランド、チャ、チャ、チャ」とやっているのを模倣したものです。その後、日本ではバレーボールが強くなって、バレーボールの応援にこの「ニッポン、チャ、チャ、チャ」が使われたので、バレーボールが発祥だと誤解されていた時期もありました。

 僕は、1980年代から1990年代にかけて、この「日本サッカー狂会」の幹事をやっていて、ワールドカップなどの観戦ツアーも企画していました。

 最初にツアーを敢行したのが1982年のスペイン大会でした。そして、1990年のイタリア大会の時には参加者が60人を超す、かなり大規模なツアーになりました。

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