現在、カタールで行われているアジアカップ。サッカー日本代表もベスト8へと進出した。蹴球放浪家・後藤健生はアジアカップを何度も取材してきたが、2000年にレバノンで行われた大会は、貴重な体験だったと振り返る。束の間の平和の中で開催された、「奇跡の大会」だったのだ。
■中東での大会開催
先週は1996年のアジアカップUAE大会の思い出について書きましたが、今回は4年後のレバノン大会についてです(「蹴球放浪記」第30回「ヤギの解体、そして国家の解体」の巻も参照)。
最近は2011年のカタール、2019年のUAE、今回のカタール、そして次回(2027年大会)のサウジアラビアと中東の湾岸産油国での開催が続いています。
湾岸諸国は、石油や天然ガスを大量に産出するので無尽蔵に近い資金力を持っています。
たとえば、カタールの人口は300万人弱ですが、そのうちカタール国籍を持つのは30万人程度に過ぎません。そんなところにワールドカップ用の4万人以上を収容するスタジアムが7つもあるのです(1つは解体)。つまり、国籍を持つカタール人すべてを同時に収容できるわけです。
日本では東京に国立競技場を1つ建設するだけで大騒ぎになったというのに、カタールでは、こんなとんでもない「無駄遣い」が許されるわけです。サウジアラビアは地域大国の威信にかけて、カタールよりさらに豪華で贅沢なスタジアムを建設することでしょう。