■ジュビロから慰留されるも「新たな挑戦を選んだ」
1月13日の新体制発表会で吉野SDが明かしたデータは、クラブ側の熱意として鈴木の胸に届いた。自分に何が求められていくのかを、はっきりとイメージすることができたに違いない。
「いろいろなデータの話だったり、チームが抱えている問題を聞いたりしたなかで、だからお前がほしいというような、チームとして的確なオファーというのが感じ取れました。そこまで必要としてくれたのがホントに嬉しかったですね。ジュビロからももちろん必要としているという話をいただきましたけど、新たな挑戦を選びました」
J2の松本山雅FCでプレーした20年シーズンから、鈴木は目に見える結果を残してきた。同年は3得点6アシストで、磐田へ移籍した21年は8得点6アシストをマークした。J1で戦った22年も6得点4アシストと10ゴールに関わり、23年は3得点10アシストである。こうしたプロセスでクロッサーのイメージが色濃くなっていったが、彼自身は「クロスを売りにやってきたわけではない」と言う。
「去年は4バックのサイドバックで、攻撃にいく回数も多かったなかで、クロスが結果につながりました。もちろん自信のあるプレーではあるんですけれど、ペナルティエリアの脇のところをどれだけ取りにいけるかは重視していました。攻撃ならそこがチャンスになるし、守備側は嫌なところですので。そのなかで、いい状態だったらクロスを上げます。相手が構えている状態のところでただあげても、意味がないので。クロスだけでなく味方につながるようなプレーを、意識してやっています」
ゴールに結びつくクロスを期待されるのは、鈴木自身も理解している。「昨年は結果につながったので、今年もそういうところでチームを助けられるプレーができれば」と話す。そのうえで、ハードワークを約束し、自らの持ち味を解放していくことを誓うのだ。