大住良之の「この世界のコーナーエリアから」第129回「15分間の戦場」(1)エンドだけではなく「ルール」が入れ替わった時代の画像
アジアカップ初戦ベトナム戦。日本代表はハーフタイムで激変した 撮影:渡辺航滋( Sony α1使用)

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような、「超マニアックコラム」。今回は試合の合間、「15分間の戦場」について。

■2つのハーフがあるゲーム

 カタールで開催されているAFCアジアカップの初戦、日本はベトナムに苦戦し、前半の半ばで1-2とビハインドの状況に立った。前半終了間際に南野拓実と中村敬斗が見事なシュートを決めて3-2でハーフタイムを迎えることができたが、1-2のまま進んでいた十数分間、森保一監督の頭脳は、後半をどう戦うか、そのための指示をどう出し、選手をどう代えるかなど、目まぐるしく回っていたに違いない。

 逆転してハーフタイムを迎えたものの、前半の過ちを後半繰り返すわけにはいかない。そして後半、試合は明らかに変わった。前半のバタバタしていた状況が大幅に減り、日本代表はより安定した形で試合を進めることができたのだ。派手な突破が増えたわけではないが、ハーフタイムの森保監督の指示がチームを落ち着かせ、不要なボールロストが大幅に減ったことが試合を勝利に導いた。

 サッカーは「2つのハーフがあるゲーム」と呼ばれる。前半と後半で大きく様相が変わってしまうことは、この競技では珍しくはない。2005年の欧州チャンピオンズリーグの決勝戦で、前半ACミラン(イタリア)に0-3と大差をつけられたリバプール(イングランド)が後半に3点を返して追いつき、延長・PK戦の末に優勝を飾った試合はあまりに有名だ。その背景に、「ハーフタイム」の存在がある。

 試合時間は90分、45分間が終わったらハーフタイムを挟み、エンドを入れ替えて後半の45分間を行う…。サッカーファンなら誰でも知っている試合の流れだ。この組み合わせは、1870年代初め頃までに定着したらしい。日本で言えば明治の初年である。「廃藩置県」が明治4(1871)年、江戸時代から使われていた「太陰暦」が廃止されて太陽の動きに合わせて1年を365日とする太陽暦が採用されたのが明治6年、1873年のことと言えば、ずいぶん昔のことだなと思ってもらえるに違いない。

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