ワールドカップ初出場への道を切り開いた井原正巳の「イエローカード」【サッカー日本代表の「キャプテンシー」を考える】(3)の画像
サッカー日本代表がW杯に初出場した際にキャプテンを務めていた井原正巳・現柏レイソル監督 撮影:中地拓也

 サッカーのアジアカップが開幕した。日本代表には5度目の優勝を目指すだけの戦力がそろっているが、タイトル獲得において大きな鍵を握る存在が、キャプテンである。日本代表の栄光の歴史とともにつながっていく、「キャプテンシー」の重要性をサッカージャーナリスト大住良之がつづる。

■歴代の名キャプテン

 宮本恒靖がキャプテンに選ばれることが多かったフィリップ・トルシエ監督時代の「キャプテン像」は奇妙なものだった。トルシエは自らがキャプテンの役割を果たすという意識をもち、チームには特定のキャプテンを置いていなかったのである。宿舎で行う試合前のミーティングの最後に「キャプテン誰々」と言って解散になる。そこでその日誰がアームバンドを巻くのかわかるのである。

 だがそのトルシエ時代でも多くの試合で宮本がキャプテンを務めたように、歴代の日本代表には誰もが認めるキャプテンがいた。

 日本サッカーリーグ時代、横山謙三監督時代の1991年からキャプテンを務めたのは、「闘将」と言われた柱谷哲二だった。その名のとおり、強いパーソナリティーの持ち主で、センターバックとして闘志あふれるプレーを見せ、チームを牽引した。横山監督を継いだハンス・オフト監督も、そして1994年に1年間だけ指揮を執ったロベルト・ファルカン監督も、1994年末に就任した加茂周監督も、柱谷を不動のキャプテンとした。

 その柱谷が代表を退いた1996年、加茂監督は一時カズ(三浦知良)にアームバンドを巻かせたが、やがてキャプテンは井原正巳に固定された。井原は加茂監督の後を受けた岡田武史監督の下でもキャプテンを務めて日本が初出場したワールドカップ・フランス大会でチームを率い、トルシエ監督時代の1999年までその地位にあった。

  1. 1
  2. 2
  3. 3