■宮本が示した交渉力
フィリップ・トルシエ監督時代(1998~2002年)の半ばからジーコ監督時代(2002~2006年)にかけてキャプテンを務めた宮本恒靖も、キャプテンらしいキャプテンだった。2004年に中国で行われたAFCアジアカップ準々決勝のPK戦でのエピソードは有名だ。
延長まで戦って1-1。日本とヨルダンの準々決勝は、PK戦決着となった。だが重慶のオリンピックセンター・スタジアムのピッチは状態が悪く、とくにメインスタンドから見て左側のゴール前が荒れていた。しかし大会本部からの要請により(おそらくテレビ放送の都合だったのだろう)、マレーシアのスブヒディン・モハド・サレー主審は左側のゴールを選んだ。その決定後に、宮本はサレー主審に「あちら側は荒れているから、逆でやってほしい」と話した。だが変更は認められなかった。
日本の先攻。一番手の中村俊輔のキックは、大きく上に外れた。スタンドの記者席からでも、踏み込んだ右足、すなわち立ち足が、ずるっと滑るのがわかった。相手の1番手は右利きのキッカーだった。彼はしっかりと蹴り、右上隅に決めた。日本の2番手は中村と同じ左利きのアレックス三都主。まるで中村のキックの再生動画のように、立ち足を滑らせ、大きく外してしまう。
宮本がゆっくりと歩いてサレー主審に近寄ったのはそのときだった。そして手を後ろに組んだまま、感情を押し殺した調子で「やはりここはだめだ。向こうにしてほしい」と話した。すると、驚いたことにサレー主審はそれを受け入れ、第4副審のところ行き、AFCの役員と話して「ゴールを代える。これまでのキックは成立し、このスコアのまま続ける」と告げる。