■選手とスタッフの負担
そんな蔚山前後のチームのスケジュールはあまりに過酷だった。“分刻み”と言いたくなるような状況だったといえる。
蔚山と戦ったのが12月12日で、チームが日本に帰国したのが13日のこと。しかし、蔚山戦後にスタッフがホテルに戻ったのは23時で、そこからSNSの更新準備も含めたさまざまな作業を行った。翌朝5時30分にはスタッフによってバスへの荷物の詰め込みを行い、選手を迎えると、2時間の空港への移動を経て9時台のフライトで成田空港に向かった。釜山という、便数が少ない地でのアウェイ戦ゆえの選択だった。
その日のうちに麻生で「解散式」を行うと、翌14日にはJR川崎駅前のショッピングセンター『ラゾーナ』で天皇杯優勝報告会を行っている。
そして15日、16日には選手会主催で、岩手県陸前高田市を訪問。16日には朝9時からサッカー教室で地元の子どもたちと交流すると東京に戻り、品川で「天皇杯優勝祝賀会」に参加。フロンターレに関わるパートナーや関係者など約650人と喜びを共にしている。
また、試合前日にはACLで定められたレギュレーションがあり、朝9時から公式会見が、16時30分から公式練習が設定されていた。
ACLだけが影響しているわけではないが、勝ち続けること、そして、タイトルを獲得することで、選手もスタッフも、コンディション調整はとても難しくなる。そして、そんな選手の不安を軽減しようとするスタッフの奮闘は、間近で見ていても感動すら覚えた。
そもそも天皇杯決勝後に選手・スタッフは翌日の蔚山移動に備えてホテル入りしており、しばらく自宅にすら帰れない状況だ。こうした遠征後に、「子どもに顔忘れられてなかった」と話す選手の気持ちが身に染みる。