サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト・大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回は「オイルマネーか人権か?」
■台頭は1980年代
今年の夏、世界を驚愕させたサウジアラビア・クラブの「世界のスター漁り」は、衝撃的だった。昨年末のクリスティアーノ・ロナウドを皮切りに、今夏には数十人の世界的なスター選手が国家ファンドの支援を受けてサウジアラビアのクラブに移籍した。世界のファンをサッカーで引きつけ、国のイメージを上げるという目的がある。
最後に、サウジアラビアのサッカーの歴史を簡単に振り返っておこう。
サウジアラビアがアジアのサッカー強国のひとつとして急速にのし上がったのは1980年代のことだった。1984年(シンガポール開催)と1988年(カタール開催)のアジアカップで連覇を飾ったのである。それまでアジアカップの決勝大会に出場記録はなかったが、1984年大会では準決勝で不俱戴天のライバルであるイランに1-1からPK戦5-4で競り勝ち、決勝戦では中国を2-0で下した。この試合で2点目を挙げたマジェド・アブドゥラーは「砂漠のペレ」と呼ばれた天才選手で、サウジアラビア代表の得点記録(72点)を今も保持している。ちなみに、中国との決勝戦で主審を務めたのは、日本の高田静夫さんだった。