サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト・大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回は「オイルマネーか人権か?」
■日本代表が訪れたのも「遠い昔」
サウジアラビアには、取材で2回行ったことがある。1995年1月のインターコンチネンタルカップ(後のFIFAコンフェデレーションズカップ)と、2006年9月のアジアカップ予選である。95年はリヤド、そして06年は紅海に面した港湾都市ジッダでの試合だった。当時サウジアラビアは「公用」以外の入国を認めておらず、ビザの申請にはサウジアラビア・サッカー協会の発行する「取材許可証明」だけでなく、数多くの煩雑な書類が必要だった。
内陸都市である首都リヤドの1月は寒かった。巨大都市は建設途上という印象だった。加茂周監督が就任して最初の大会、日本代表はアルゼンチンを相手にカズ(三浦知良)が1点を返したが、1-5で敗れた。一方、商都であり、イスラムの聖地メッカへの巡礼窓口でもある紅海に面した港湾都市ジッダの9月は、ともかく高温多湿な気候に悩まされた。オシム監督が就任したばかりの日本代表は猛暑のなか奮闘したが、サウジアラビアに0-1で敗れた。
しかしそれは「遠い昔」と言っていい。急速に変わりつつあるサウジアラビア。リヤドもジッダも大きく変わっているはずだ。2015年に王位継承者となって、現在は首相も務め、事実上のサウジアラビアの指導者となったムハンマド・ビン・サルマーン・アル・サウード(以後ムハンマド皇太子=現在38歳)が、観光業や製造業など、石油以外の産業を成長させる「ビジョン2030」という改革プランを2016年に発表、あらゆる面で急速な改革が始まっているからだ。