■「便器に便座がなかったし」
U-20世代になると、日本代表とシドニー五輪代表を指揮していたフィリップ・トルシエ監督が指揮官を兼務。99年2月のブルキナファソ遠征などで常軌を逸した経験をさせ、彼らのタフさと逞しさを養った。
「パリからサハラ砂漠の上を飛んで、(首都のワガトゥグーに)着いたらバスで何十時間かけてどこかの町へ行ったんやけど、ベッドは埃だらけ。便器に便座がなかったし、シャワーはちょろちょろしか出えへんし、食事もうどんみたいなパスタとゆでた野菜。トルシエも『現地に来たら現地のモノ食ってやらなあかん』と言うしね。ああいう経験はその後に絶対生きてる」と播戸竜二(WEリーグ理事)も語ったことがあるが、今ならコンプライアンス違反になるような厳しい出来事の数々も含めさまざまな困難を彼らは乗り越えてきたのだ。
その成果がU-20W杯準優勝だ。2011年になでしこジャパンがW杯制覇を成し遂げているが、男子代表では彼らの実績が日本の最高点。小野と本山がベストイレブンに選ばれ、登録18人中12人がのちに代表になった。その後のシドニー五輪8強、2002年W杯16強への尽力も含め、日本サッカー界への貢献度は非常に高かった。小野はその筆頭だったのだ。
98年フランスW杯に18歳で出場し、2001年にはオランダ名門のフェイエノールトへ。そこで瞬く間にレギュラーを取り、1年足らずで01-02シーズンUEFAカップ(現欧州EL)制覇を果たしたのだから、どれだけ能力が高かったか分かるだろう。2010年南アフリカW杯でオランダ代表を準優勝に導いたベルト・ファンマルバイク監督も「オノほど優れた選手は滅多にいない」と絶賛したほどだ。