■点の取り合い

 当時の長居競技場は約2万3000人収容。メインとバックには大きなスタンドがありましたが、ゴール裏にはスタンドがありませんでした。

 1964年に完成し、同年の東京オリンピックのサッカー競技の一部として「大阪トーナメント」がここで開かれました。オリンピックの準々決勝で敗退した4チームが順位決定戦を行ったのです。準々決勝でチェコスロバキアに0対4と大敗した日本代表は、長居でユーゴスラビア代表と対戦。1対6で大敗を喫しました。ユーゴではスラーヴェン・ザンバタが4ゴール、イビチャ・オシムが2ゴールを決め、釜本邦茂が一矢を報いました。

 さて、長居でのフェレンツバロシュ戦ですが、アルベルト・フロリアーンがCF。一方、日本代表は釜本がトップで奥寺康彦が右サイドという豪華な両チームのFW陣でしたが、フェレンツバロシュのユハース・イストヴァ-ンとセーケ・イストヴァーン、日本の足利道夫と森孝慈、すべてMFの得点で2対2の引き分けに終わりました。

 今回、奈良に滞在して生駒越えをしながら(ただし、今回は電車で)、そんな昔のことを思い出したというわけです。

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