■かつての南宋の首都

 さて、そのドイツとの試合が行われたのが、杭州の黄龍体育中心(「体育中心」とは「スポーツセンター」のこと)。風光明媚な景勝地、西湖の北にある重厚な屋根が特徴の約5万人収容の陸上競技場でした。

 そこで、僕は西湖の西の畔、スタジアムまで歩いて30分ほどのホテルに宿を取りました。杭州は人口密度の高い街ですが、西湖周辺は自然に囲まれた美しいところだったので、30分の距離も心地よい散歩でした(路線バスもありました)。

 なにしろ、杭州は中国の「国家歴史文化名城」(「城」は「都市」という意味)であり、西湖はユネスコの世界遺産にも登録されている名勝地なのです。

 この地に「杭州」が設置されたのは6世紀の隋の時代でした。隋の時代には中国の南北を結ぶ大運河が建設され、杭州はその南の端だったのでその後経済的に大いに発展します。そして、1138年には杭州は南宋の事実上の首都となり、さらに発展します。

 中国の統一王朝だった「宋」は、遊牧民族である女真族が建てた「金」に北部を奪われ、長江の南の杭州を臨時首都に定めたのです。

(2)へ続く
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