■アルゼンチンへと向かう

 そんなこと(「二度とは来ない」と思っていた土地に再び行くこと)が起こったのは、その後にもありました。

 2001年の4月に『サッカー批評』第11号の取材でアルゼンチンに行ったことがあります。

 国内リーグやリベルタドーレス杯などを毎日のように観戦し、アルゼンチン協会(AFA)の役員やボカの会長で後のアルゼンチンの大統領となるマウリシオ・マクリのインタビューをし、さらに遠征中だったU-20日本代表のトレーニングマッチを見たり、忙しく過ごしていました。

 そして、4月20日から1泊の予定でブエノスアイレスから300キロほど離れたロサリオに行きました。

「ブエノスアイレスではまだイングランド・スタイルのサッカーをしていた時代に、ロサリオでは早くからショートパスを使ったサッカーを取り入れた」というのが、ロサリオのサッカー人たちの自慢なのです。というのは、ロサリオにあった鉄道会社でスコットランド人の技師・労働者が数多く働いていたからです。

 ロサリオではクラブの育成組織の実態を取材するために「ニューウェルス・オールドボーイズ」を訪れました(現地の人は短く「ニュウス」と呼びます)。

 ロサリオでは「ロサリオ・セントラル」と「ニュウス」が2大クラブなのです。ただ、残念ながら滞在時間が1泊だけで、しかも試合がなかったのでスタジアムを訪れることはできませんでした。

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