■最高の思い出の地ベルリン

 当時のオリンピックはアマチュアだけの大会だったが、ほとんどの国は「サッカーのプロ」の存在を公認していなかったので形式的にはすべてアマチュアだった。だから、当時のオリンピックには若手中心のフル代表(つまり、次のワールドカップを目指すチーム)が出場していた。

 日本は、1回戦でスウェーデンに3対2と逆転勝ちしたが、スウェーデンは1938年ワールドカップで4位に入った強豪だった。日本は2回戦ではイタリアに0対8と大敗を喫した。イタリアは1934年と38年のワールドカップで連覇を飾ったチームで、ベルリン・オリンピックに出場したチームは若手中心だったが、名将ヴィットリオ・ポッツォに率いられ、この大会でも金メダルに輝いている。

 こうして、当時の日本のサッカー人にとって、ドイツというのは最高の“思い出の地”ということになった。

 1937年に日中戦争が勃発した。さらに、1941年には日本はアメリカやイギリスなどと全面戦争に突入する。しかし、戦局は瞬く間に悪化し、1945年にはポツダム宣言を受け入れて日本は連合国の占領を受けるに至るのだ。

 戦争が始まるとスポーツの活動は制限されるようになり、日中戦争の激化によって1940年に開催予定だった東京オリンピックは返上され、日本が初めて参加申し込みをした1938年のフランス・ワールドカップも棄権を余儀なくされた。そして、若手選手の育成も滞ってしまう。

 戦争が終わった直後は戦前からの名選手たちが復帰して活躍したが、彼らが引退すると日本のサッカーは弱体化していく。

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