サッカーの取材は、90分間が終われば完了するわけではない。ジャーナリストたちにとっては、スタジアムからの移動も仕事のうちである。蹴球放浪家・後藤健生は、ナイジェリアやオーストラリアの「深夜便」で、人々の生活に思いを馳せてきた。
■シドニー五輪の思い出
同じ真っ暗でも、2000年のオーストラリア大陸で経験したのは、人も、人工物もまったくない無人の荒野の暗さでした。
オーストラリア北東部クイーンズランド州ブリスベンで行われたシドニー五輪グループリーグ最終のブラジル戦を見た僕は、準々決勝が行われる南部サウスオーストラリア州のアデレードまで、自動車で移動することになりました(「蹴球放浪記」第68回「『五輪サッカー』2000年の記憶」の巻参照)。
延々と、ほぼノンストップで走りっぱなしで24時間かかる超ロングドライブでした。
ここも、ナイジェリアと同じく周囲は真っ暗で、道路もほぼ直線です。対向車線の遠くにポツンと大型トラックの照明が現われてから、実際にすれ違うまで10分もかかるのです。
そして、ナイジェリアと違って、オーストラリアの大平原は本当に無人に等しかったのです。オーストラリアの面積はナイジェリアの8倍ほどあるのに、人口は2500万人ほど。しかも、大部分が都市に住んでいますから、平原地帯はほぼ無人と言っていいと思います。
道路の照明はなく、蝋燭やランプの灯りも見えないのです。
「明るさ」といえば、対向車線を走ってくるトラックのヘッドランプくらいのものでした。また、突然道路に飛び出してくるカンガルーなど野生動物の目が、僕が載っている車のヘッドライトに照らされて不気味に光るくらいなものでした。
地球という星は、夜中は真っ暗なのです。