後藤健生の「蹴球放浪記」第169回「こんな所、二度と来ないと思ったのに~」の巻(1)ラウンド16「対オーストラリア戦」でのギャンブルの画像
1997年ワールドユース決勝戦の入場券 提供/後藤健生

 日本代表は、もはやワールドカップの常連だ。だが、なかなか世界への扉を開けない時期があった。その先に「ジョホールバルの歓喜」があったわけだが、蹴球放浪家・後藤健生は彼の地で日本代表の「2試合」を観戦していた。

■1997年のワールドユース

 前々回の「蹴球放浪記」(167回)で中村俊輔がユース代表だった頃、1996年のアジアユース選手権(現U-20アジアカップ)について書きました。翌年のワールドユース(現U-20ワールドカップ)の予選を兼ねた大会でした。

 日本は準決勝で韓国に敗れ、3位決定戦でもアラブ首長国連邦(UAE)にPK戦負けを喫して4位に終わりましたが、なんとか世界大会への切符はつかみ取りました。予選を勝ち抜いてワールドユースに出場するのは1995年大会に続いて2度目のことでした。

 日本は中田英寿がいた1995年大会ではベストエイトに進出。準々決勝でブラジルに1対2で敗れています。当然“前回以上”を期待したいところですが、1997年大会は参加国が16から24に増えたので、ベストエイトに行くにはラウンド16を突破しなければなりません。

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