■恩師だからこそ分かる“三笘の1ミリ”の舞台裏
――そんなお二人が、ワールドカップ・カタール大会のスペイン代表戦で世界中を熱狂の渦に巻き込みました。いわゆる“三笘の1ミリ”のシーンですが、どのような心境でご覧になっていましたか?
薫、碧の連係を見た率直な感想は、「いつものプレーだな」でした。碧があの位置にいるのも、薫があのボールを追いかけたのも、ジュニア時代から常に見ていたプレーなので、あまり驚きはしなかったんです。ボールに対する執念と、一瞬のチャンスを逃さないという気持ちをずっと彼らには要求していたので、それが世界的な大舞台で実を結んだことは素直に嬉しいですけどね。本当にフロンターレで育った彼ららしいプレーでした。
――田中選手がゴール前に来ることまで予想できましたか?
ゴール直後は誰か分かりませんでしたが、僕の中では「きっと、碧だな」と思っていましたよ。碧のチャンスへの嗅覚は、薫以上ですから。おそらく、薫も同じことを思っていたはずです。
――教え子たちの活躍を見て、嬉しさもひとしおだったのでは?
もちろんです(笑)。ただ、あれが到達点ではなくて、彼らはもっと上に行けると思っています。僕自身、彼らのプレーの改善点がどんどん頭に浮かんできちゃいますし、さらなる飛躍を遂げてほしいという気持ちのほうが強いかもしれません。
――今シーズン、三笘選手はプレミアリーグでの日本人最多得点を更新されました。活躍する姿を見て、いかがですか?
シーズン初めは、薫がいつから試合に出られて、どのくらいの期間で環境に慣れるか心配でした。でも、その環境に慣れてしまえば、必ず結果を出してくれるという確信もあった。とある選手が移籍したことで、薫にチャンスが巡ってきましたが、それを逃さなかったのはさすがですね。僕の想像よりもずっと早く結果を残してくれました。
――最後に、来シーズンに向けて三笘選手へのメッセージをお願いします。
来シーズンの薫は、もっともっとできるはず。ぜひ、2桁ゴールやチャンピオンズリーグ出場を達成してほしいですね。
たかさき・やすし
1970年4月10日、石川県生まれ。大学卒業後、サッカー指導者の道に進むと、母校の茨城県立土浦第一高校、筑波大学、東京大学のコーチを歴任。その後、2002年にJリーグ・川崎フロンターレの下部組織のコーチに就任し、2006年には川崎フロンターレU-12の立ち上げにかかわり、2011年まで監督を務めた。現在はジュニアユースクラブ・フガーリオ川崎のアドバイザー、川崎市立橘高校コーチ、尚美学園大学コーチとして、ユース年代の育成に携わっている。